あるべき場所(仮)(その1)

春日山城は本丸の櫓に、上杉景勝は一人御館方面を眺めた。
越後の3月下旬は、昼の陽射しのぬくもりを、あっという間に夕暮れの冷えた空気が包んでしまった。
珍しく晴れたせいか、焼け付くような夕焼けとなった。赤茶から白と赤黒へのグラデーションが空全体を覆う。城下一面の雪が薄暗く輝いている。
数日前の火と煙と焼ける臭いが一瞬甦っる。
焼き尽くせ、世界全てを焦がしてしまえ、上杉影虎と共に全てを焼き払ってしまえ。
景勝は平素ならいだかない、暗い情熱を燃やす。
なぜかな、と考える。
おそらく、ようやく影虎との争いにケリがつくからだ。この1年何度も、もう自分は終いかもしれないと感じた。常人なら、途中で一度は心が折れたかもしれない。ただ自分は違った、と考える。
時に座を組み、心を無心に平静に保った、そして樋口与一の言葉を聞くと頭の中が整理され、苦境の中では次なるビジョンが提示された。
しかし、負担があったのだ。だから、ようやくケリをつけて焼き尽くすのだ。
一度全てを焼き尽くし、その後、新たに世界は再生するのだ。


与一は――この数年後、樋口与一は天正9年の騒動の後、直江家を相続し直江兼続を名乗ることとなる――景勝が一人佇むのを見て、櫓に登っていった。
上杉謙信が脳溢血に倒れ、遺言もままならぬ状況で、二人の養子は諸国を巻き込んだ相続争いになだれ込んだ。
上杉謙信の甥にあたる景勝と、北条からの人質にして養子、謙信の幼名を与えられた影虎は、それぞれ春日山城と、御館――現在の直江津の近く――に陣取り、もう1年程も衝突を繰り返していた。
与一は数々の策を弄し、景勝と2人3脚で意思疎通し適切なタイミングで実行した。将棋の駒を進める毎に一つ一つ有利に手得にし、あるときにはドラスティックに戦略を進めた。ようやく、大勢は決まり道は眼前に広がってきた。
もう残るは結末のつけ方だ。結果の確認、世への提示の仕方なのである。
この御館の乱の始まりにもう少しはっきり示せていれば、このように長く時間をかけて血を流すこともなかったのだ。
与一は、学んだ。
心を鬼にしてでも、やらねばならぬ時がある。今回がそれだ。
景勝から丁度5歩離れた位置で左膝を突き、右拳をまっすぐ床につけ景勝の名を呼んだ。
「景勝様。すこし冷えて参りました」
景勝は、まだ良いと無言で答えた。
そして、与一の次の言葉を待つとでも言うように、元の景色を眺めた。
与一は、用意していた言葉を話し始める。
今回の策は、平素ならいささか異論を持つものも出かねぬ判断が必要な策である。
自分が起案したものではあっても、最終的な判断はあくまで景勝が行なうこと。与一は、その判断についてのケアを行なう機会が巡ってきたことを自覚した。
景勝は謙信に特別な感情を持っていた。因縁のある叔父、しかしながら誰もが認める軍神上杉謙信に、景勝は常にアンビバレントな感情を抱いていた。通常、景勝は他者に対し強い憎しみも愛情も持たなかった。が、謙信については例外であった、それは謙信が死してもなお、むしろより強化された。
一面において、憧憬と執着にも近い感情があり、その謙信を育てた、養父の上杉憲政を欺き誘き出し切り捨てることについて判断することは、景勝の精神に強い負担を及ぼす筈であった。また、影虎の長子の道満丸は、景勝の姉(清円院)の子であり景勝の甥であった。とりもなおさず、上杉謙信の甥である景勝という関係は、景勝と甥の道満丸と同じ関係であった。道満丸は数え歳9歳、景勝の父が暗殺されたのとほぼ同じ年齢なのである、自然に景勝は幼い自分と道満丸を重ねあわせる。叔父の上杉謙信の養子として、春日山城に向かう幼い自分が、叔父の自分の下に人質として連れてこられる道満丸と見事に重なり、あたかも自分で幼い自分を騙して殺す判断を迫られているようである。
与一は、そして整然と説明した。なぜそれが必要であるか。
景勝は、敢えて与一が自分にその判断を迫っているのか、意図的なのかふと考えた。それは、まず間違いなく意図的にそれを迫っていることに思い至った。時間はまだある、しかし、自分で幼い自分を殺す判断を迫っているのである。


――景勝は、平素からあまり多くを語らない。語らないことが、父を暗殺された者が行なう世に対しての意思表明、生き抜く上での処世術でもあった。
しかし、もしかしたら、彼の沈黙は自分と周りのコミュニケーションに支障をきたしたかもしれない。その影響は、身分制度という構造により十分吸収し得たが、世は戦国であり僅かな機能不全が、他国他者との相克においてクリティカルな結果を与えるには十分であった。
景勝、数え十歳のとき、坂戸城主である父の長尾政影は、城の目と鼻の先の野尻ノ池で、琵琶島城主宇佐美定満ともども10人弱が集団暗殺された。直接の実行は、重臣の下平修理の手引きによるものであったが、単独で仕掛ける訳もなく背後の黒幕は、他国武田氏北条氏の調略か、自国の勢力争いか。既に、謙信の元で平定された上杉家にとって、その家臣が失われることは必ずしも直接的に他国勢力に利するものでない強いリーダーシップがあればこそ歯車の代役・代替は利くのである、むしろそれは代々続く家内の争いとして、誰の頭にも先ず思い浮かんだ。しかし、それを逆手にとって間接的に上杉に楔を打ち込む他国の意図かも知れず、要は誰が裏切っていてもおかしくない疑心暗鬼の状態であり、十歳の景勝をして寡黙にさせるには十分であった。
叔父である上杉謙信――結果として、暗殺に因る直接利益が一番あった――は、暗殺を契機に春日山城に景勝を呼び寄せ養子に迎え入れたのだった。