『Preludes etc - Vladimir Sofronitsky Edition Vol. 8』

評価【★★★★☆】
Preludes etc - Vladimir Sofronitsky Edition Vol. 8
作曲家:

アルバム:1946 DENON
\*データはCDDBより(アマゾンその他では、どうしても検索出来なかった)
このCDは昔の録音であるので、音が歪んだり割れたりしている。けれど素晴らしい(と私は思う)演奏で、頭の中で実際の演奏をイメージしたりする。


そもそも私はクラシックは元々好きではあったのだけど、いわゆる現代曲はあまり好きではなく、バッハやベートーベン、ショパン辺りが好きだった。たまたま友人(男)がピアノ修行を積んでいてコンクールもよく出ていたので私も時々それを聞きに行った。
コンクールではProkofievは、彼に限らず比較的よく弾かれる。
一般の演奏会では和やかに、演奏者も余裕がある。しかしコンクールでは張り詰めた空気と音があってそれが例えプロの音ではないにせよ、ある種の切実さや現実性が迫ってくることがある。そういう緊張感のある空間から生み出されたものが、演奏に限らず私は好きだ。
ごたくはこれくらいにして、
とにかくそこでProkofievに私は出会った。それから幾つかのCDを聞き更に好きになった。特にピアノ曲
音楽に限らず、芸術的な幾つかの分野では近代に従来の型を解体する動きがある。例えば、絵画の抽象画、音で言えば不協和音等、言語の構造分析だって解体されている。全ての前提を取り払ってより自由な表現を求める動きなのだろうか?よく分からないけど。しかし、全てが解体されたままでは終わらないのだと私は思う。
解体された屑の山の中から意味あるものが再び現れてくるのだと思っている。解体され平坦化された情報は、必ずしも人間の認知にとって効率的ではない。
「10 Pieces, Op. 12 No. 7」などとても綺麗な響きをしている。旧来の型とも違う音の配置も含めながら、美しい旋律が立ち上がっている。
Prokofievの音を生み出そうとする意思の力強さ。時間やその他のバイアスを潜り抜け、今ここに現れているようだ。