『風の谷のナウシカ』――全七巻 漫画

評価【★★★★★】

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

明日の夜、アニメーション『風の谷のナウシカ』(1984年)が放映される。
一応内容的には1,2巻分の内容が映画用に再構成されたようなかたちです。
しかし、漫画版ナウシカは1982年から1994年まで12年にわたって連載された、エンディングも異なる言わば別物


ナウシカについての概略やまとめは、難しいのであえて多くは触れず、既にある程度知識を持っているものとして。
(念のため)
『風の谷のナウシカ』Wikipedia
以前、稲葉さんの書いた『ナウシカ解読』のリンクを張りました
あるいはこちらのまとめサイトも参考になるかと


風の谷のナウシカのもつ世界観は、独自で存在感がある。
これはどのような材料をもとに、どのような発酵の過程を経ているのだろうか?


宮崎駿さんは、太平洋戦争中に少年時代を過ごし家は軍用機の部品を作っており飛行機が飛び立つ姿を眺めて育ったらしい。航空機が好きで軍事マニアである、と同時に戦争を憎む。若い頃は組合活動に参加し、反体制的左翼的思想を持っていたとされる。


・作品の種類、位置付け
アニメーションのナウシカは、人間である。一般に広く受け入れられるためか、こなれた姿(人間としての枠をはみ出ない)であり作中世界も現実に近い部分が多く、洗練された世界でありリアリティを保っている。
と同時にこなれている分、内側の荒々しい程の存在感も覆われている。
漫画の世界では、ナウシカは「鳥の人/使徒」としての超能力を備えているし、巨神兵は空間を捻じ曲げて空を飛んだりする。
その世界観と存在感、複雑な設定と構成、にじみ出るもがき葛藤。
アニメより制約の少ない状態で、より宮崎さんの内側の思索が、にじみ出た世界と感じられる。
また12年もの月日で進行しいくつかの斬新なアイデアや自らの心や思想の変化を、少しずつだけれど確実に吐き出して描き付けている。


・世界(物理的な設定)
トンボの発展系の大王ヤンマ、ハエの変形ウシアブやらが人間よりはるかに大きくて、さらに王蟲はおっきなだんご虫みたいな形をしている。さらに大きな粘菌や苔類・シダ類は森(腐海)を形成している。これはサイズの逆転だ小さなものがより大きくなっている。(因みにジブリ作品『耳をすませば』でバロンが「恐れることはない。遠いものは大きく、近いものは小さく見えるだけのことだ」などと発言しています)
また、かなりの高さから飛び降りても骨折しなかったり、あるいはメーヴェを空力的に考察したりするとナウシカの世界では人間のサイズが現在の虫より小さければ説明がつくなんて話もある。
物理的なサイズをすこしずらして世界を発想するアイデア
おまけ
たとえ何かの事故が起こっても「既存のマンガ・アニメーション作品等とは…」関係ないとする面白い乗り物があり、このプロジェクトを数年前から見守っていたりします。


・世界(地理的な位置)
>ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は…
腐海のある大きな大陸(亜大陸)ですが、これはユーラシア大陸と思われます。
氷河期に入って大陸と繋がった日本の辺りにトルメキア(モデルはドイツとも)があったり、土鬼
の部族ではマニやビダ等、マニ語(チベット)ビダ語(タミル語)が連想されまたエフタル(Ephthal)クシャーナ朝などあわせて中央ユーラシアの辺りとのつながりが見えます。
とまあそのように、オームのモデルはカタ・ジュタ奇岩群だとか言っててもだからなんなのという話になってしまうので。
つまりなにを一番指摘したいかというと。セルム(森の人)とナウシカと皇弟が心で訪れた腐海の尽きる所はロシアの辺りだったんじゃないか、ソ連の辺りだったんじゃないかなということ。
森の人の聖地であり、生まれかけたユートピア、毒が浄化された清浄の地。これはかなりうがった見方だと思うけど、団塊の世代やその周辺の年代の方にとってマルクス主義の聖地がソ連であってユートピアだった時代が確かにあった。
自分の親も含め何人かのその年代の方の率直な話を聞いたことがある、人によってその評価は様々なのだけど私らの年代では計り知れないコミットがあったことは感じた。
だから、一つの読み方としてユートピアの臨界の地で血を吐き出してしまう世界を描いた宮崎さんという捉え方をしながら読み直しても、いろいろ面白い発見が得られる。


・消化不良
この作品の難解さは明快な答えと相性が悪い。だから軽薄な謎解きでは全く満足がいかないものとなり、一種批評家達には近寄りがたいものがあるかもしれない。明快な答えを出せば即ちそれは誤りであると作品は物語るものであるかもしれない。
読み返す度に幾つかの読解のアイデアを発見したりもするのだけど、その一つには「いくつもの神々」というのがある。オーソドックスな読みに加えそれに軽く触れて消化不良の一助として閉めたい。
火の七日間当時、それぞれの立場からそれぞれの思想でそれぞれの神を作った。シュワの墓所(技術と新生人類)であり、あるいは巨神(オーマ/調停者)、ヒドラの庭(平和や自然、芸術)、また或いは王蟲(腐海/解毒)、はたまた既に滅びた神としてペジテ辺りに他にもなにかあったかもしれない。
そんな過去の人間が作った神とは別に、今生きている人間を生きていこうというメッセージかもしれないし、そうでないかもしれない。
オーソドックスな見方としては、墓石と王蟲の体液の同一性や墓石で映じたヒドラの顔がヒドラの庭と同じものだとして、過去の人間の人類新生計画をナウシカが調停者を悪用して潰したというものか。最後に「今、生きている自分」というものを物語る、ということにせざるを得なかったのかもしれない。




おまけ
風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・
この頃久石譲さんはまだ殆どフィーチャーされなかったけれど。
シンセを使った久石譲さんの意欲作で、なかなかすばらしいと思う。
映画中、その出来を左右するほど音楽は意識下で大きな影響を与えると思うけど、このアニメーションの世界観を支えまた発展させた音楽として評価できる。