ロマと欧州

ロマ(ジプシー)は、記録によると15世紀のヨーロッパに現れ当初「エジプトからやってきた人々」と思われていた。ジプシーの名称はそのエジプシャンからきているとも言われる。
因みに書き添えると、各種保護状をもっていたこともあり当初は民衆より高い身分であり、権力者たちさえ彼らを尊敬の対象としたということである。


その後、変遷もありつつ、ロマはヨーロッパ社会に多大な影響を与え続けた。
・音楽
・文学
・美術(ファッション)
・軍事(傭兵)
・占い


音楽では、クラシックを始めオペラ、民族楽器など大きな影響を与えている。
現在のクラシックは14世紀前後にその源を求めることが出来て、ある種の文化の交流がその契機になったかもしれない。バイオリンは弦楽器だが、弦楽器の発祥はヨーロッパではない、中央アジア〜中近東とされている。もしかしたら文化の担い手としてその一端をロマ達が担っていたかもしれない。バルトークやリストに影響を与えたと言われるし、サラサーテツィゴイネルワイゼン』だってそのものジプシーの歌という意味、モンティ:チャルダーシュもとても素敵な曲だ。


19世紀頃には、厳しい社会状況の中で、そのような事実がなかったにも関わらず、子供を誘拐するという噂が広まる。出生の秘密といったものにロマンチシズムを被せて文学作品でもよく取り上げられたという。
しかしその実体は、彼らの村で見かける西欧人そっくりの子供達(例えば左の女の子とか)からきているのかもしれない。

同じロマの両親から生まれているのに、特徴的なロマの風貌である子と西欧的な子が現実的にいるのである。
その昔、村に入り込んだ西欧人の血や、あるいは貴賎各種の交わりにおいて入り込んだDNAが覚醒遺伝の発露を表しているのかもしれない。
写真に写っているのは全て現地のロマ達である。子供の目に力があって、輝いていたのが印象的だった。