科学とは

積み上げ可能な知識体系
ひとことで書けばこうなる。
 
また反証可能性(検証可能性ではなく)というものが、かなり明確に科学とそれ以外を識別する手がかりになるのだと考えている。
 
多くの反証の機会に鍛え抜かれた、暫定的仮説というしっかりとした土台によって科学は積み上げられる。
デカルトの方法的懐疑も、数学者・科学者としての反証可能性という方法論を哲学に落とし込んだとものと理解している。
 
 
あやふやな土台の上に築かれた知識の楼閣は、いつ崩れたとしても驚きはない。
通常、ことばという曖昧なものを多分に含んだ記号によっては、明確な反証をしうる明確な命題を設定するのが非常に困難だ。
科学の各分野では、これを排除するため、より抽象性の高い数学のことばを道具として利用することが多い。
 
実は、科学の内部でもいろいろあって、実験の妥当性を測る指標も分野によって厳密さが異なっている。
例えば、物理の実験では通常一つの数字を出すときに約8回の繰り返しを行いその平均値を利用(分散も添付)したりする。
コレが生物になると、3回程の繰り返しで検証できれば論文に使用できると聞いたことがある。
 
☆積み上げ可能であることは何故重要か?
人間は、ここ数千年や数万年でたいして身体的進化はしていないと考えている。脳の容量だって殆ど変わらない。
しかし「言葉」「文字」「数字」と、情報を外部化・共有化しより厳密に取り扱う段階を上げることによって、その知識の相乗効果で爆発的な自由を能力を手に入れた。
 
☆巨大な知識体系という構造物を建てるには
思想や文化という面において「文字」の果たす役割は大きい。
しかし、私自身ローマ時代や日本で言えば平安時代の文化や思想は現在に比べても遜色ない、多くの部分においては勝りさえしていると思っている。しかし、それは時間の経過と共に劣化してしまう。厳密でない部分が失われてしまうことがあるからだ。
(ここで念のために書いておくと「言葉」「文字」「数字」となるに従い、より人間の感覚・実感からは離れる傾向があると考えられるので、一面的に比較していることをご了承ください。私自身は文字文化以前、或いは非言語コミュニケーションでのより濃度・密度の濃い感覚に憧れていたりもします。以前のエントリも参考までに
 
DNAを引き合いに出せば。
生物が、その内部で遺伝子を複製するときにはエラー補正機能がある。
より原始的な生物としての大腸菌ではその補正は、ある種の酵素により行われ1000分の1に抑えられている。
哺乳類であれば、数字が幾つかあるのですがproofreadingも含め、二重のエラー補正が行われ、100万〜100億分の1にエラーが抑えられている。
遺伝子のエラー補正は、生物にとってクリティカルな問題。
大腸菌ではその遺伝子が比較的少ないため1000分の1オーダーで種を存続できるが、人間ではそのオーダーのエラー補正では種を存続することができない。
つまり、より大きな構造物(人間という種)を存続させるためにはより厳密な伝達が必要だったことを、生物の機能が表しているといえる。
 
<おまけ>
実は、生物には大腸菌の1000分の1エラー補正にたどり着くまでにミッシングリングがあって、どうやってエラー補正という機能に遷移したのかという謎があると聞いたことがあり、とても面白いはなしだと記憶しています。
ちょっとあやふやなんですが、今考えるに酵素自体通常たんぱく質で構成されるからエラー補正自体が非常に高度で、初期の(100塩基伝達:エラー補正なし上限?)DNAからどうやってエラー補正を身に着けるに至ったか、とか。