約一年ぶりに体を動かす

この1年の間、二回の入院をした。
始めは腹部の腫瘍摘出で、次は目の硝子体混濁に関する手術。
 
去年の6月頃からの話だから、1年ほどになるだろうか。
その間、しっかり運動ができなかった。
始めの手術が終わり、3ヶ月が過ぎそろそろやっと運動ができるだろうか。
水泳ができるだろうか。
と思いはじめたときに、眼の具合がおかしくなった。
度重なると、ボディブローのように気持ちにも効いてくる。
実のところ、その前の年(2年前/2004)の8月から幾つかの災厄に既に見舞われていて、さすがに精神的にも、参ったなと感じてきた。
 
人生には1度か2度、困ったことが立て続けに起こるもんだと認識していたからこのくらいは別になんともないと、自然に頭を切り替えていられたのは我ながら、上手くコントロールできていたものだと感心する。
今まで、幾つかの世界の幾らかの人と交わってきたけど、自分が今回経験したようなことは障害としては結果的にさほどきつくなかったかもしれないと、思ってみたりする。自分は、またこのような機会に出会って、更にまた別の種類の困難に向かってもまだいくらかは耐えることができるだろうと思う。
 
今回の災厄の見本市みたいなものはとりあえず、そろそろ終わりだろうと思っている。少なくとも必ず峠は越しているはずだ。
 
 
☆先日、山に登ってきた。
笠取山という奥秩父の山で、今回が2度目だ。
以前、大弛峠という長野県と山梨県の間の峠を起点に
大弛峠〜国師ヶ岳(北奥千丈岳も)〜甲武信ヶ岳〜雁坂嶺〜笠取山雲取山奥多摩湖(のあたり)
という、いわゆる奥秩父全山縦走なる物を実質2日内でやったことがある。
そのときは、ゆっくりするときもあったけど基本的に結構大急ぎだったのでもう一度途中のコースを味わいたいなとは思っていた。
今、以下のサイトで距離を大まかに結んで見ると41kmと出た。実際はもうちょっと長いだろう。友人とまあ直線距離で40kmはあるねなどと言って歩いたので、いいところをついていた。
http://www.nanchatte-charider.com/gis/test/michinori.html
 
今回は2人誘っていたが、どちらも忙しく予定が空かなかったので、一人で行くことにした。
もし、体が動かなくて途中でへばってしても迷惑をかけず自分のペースで歩ける。
東京からバイクで、3・4時間かけて麓の高原まで行きテントを張ってその日は寝た。
3シーズン用の化繊シェラフで、相当にぺらぺらだったので、かなり寒かった。
着込めるものはすべて着込み、シェラフごとザックにもぐり込んだが、なかなか眠れず夜中に二回お湯を沸かして飲んだ。お湯を飲むと数時間眠れる。
以前(学生の頃)、冬の富士山8合目でビバーク訓練をしたときは合計で30分くらいうとうと、コレが今まで一番寒かった。
とは言っても、ダウンハガーを持ってくればよかったと、少し反省。
 
夜中にテントの生地を通して明るい星が見えたので、月が出たかと思って、ファスナーをあけてみてみるとそれは、とても明るい星だった。そのまま外に出て空をみると、
そこはホントに落ちてきそうな星がぎっしりと輝いていた。
ああ、きっと何千年の昔の人も夜空をみて(視力を測ったり)話をしたりしたんだろうなとか感慨に耽る。
子供の頃、南半球に旅行したときその夜空の余りの鮮やかさに写ルンですで何枚もシャッターを切った。そんなの映らないよと言われてジャンプしてフラッシュを焚いて撮った。
そんなことを思い出しながら、こんなに手に取るように明るいのに何で映らないんだろなんて、そんな気持ちを思い出したりする。
 
人間は生命の危機を実感したとき、とても感覚が研ぎ澄まされることがある。今回はほんの一瞬、寒さが身にしみ込んで、そんな感覚を久しぶりに感じた。
 
夜中一度、1匹のサルが叫びつつテントの傍まで近づいてきた。
ヘッドライトをつけてやると、相当驚いたようで叫びながら飛ぶように逃げていった。
 
と、順を追って書いていたら随分長くなってしまった。
あとはシンプルに書く。
 
翌日は朝ゆっくり起きてといっても7時には出発。
不安もあったので、抑えながら登ったけれど結局、笠取山含む10kmほどの行程を問題なく楽しんでこなせた。
そういえば、コレは山の途中ではなく行く途中の話だけれど、山ではピンクの桜が満開で、それも楽しめた。
 
一年ぶりに、しっかりと体を動かせて、まだ山にも登れるということがなんとも嬉しかった。
そう、嬉しかったとしか短い言葉では表現できないのだけれど。
表現したい気持ちの、これっぽっちも伝わらないこと。
もうすこし文章をしっかり組み立てることによって、自分の気持ち自分の体験をこの感覚をより多く、他の人に伝えることが自分にできると自分で知っている。
 
いつか機会ができたら、これを生かした文章を書きたいなと思っている。
山の道を、ひとり歩きながらその喜びを思いながらそんなことを考えていた。