誰かの心の、どこかの街角

年があけた。
正月のある早朝にいた山で、月を撮ってきた。
初日の出は時々見るけれど、なんだか正月の月が珍しい。


阿弥陀堂だより [DVD]、という映画を年末に見ていた。
サイドボードにあった、何年も前の道路地図が目に入る。
ふと、地図について考えた。
自分は地図を見るのがそれなりに好きで、とりわけ今まで思ってみもしなかったルートが開通している様子が載っている地図などは尚よい。
でもきっと、これって自分が過去の地図を知っているからだなと思う。
過去の地図ではまったく繋がりのなかったこことあそこというイメージを持っていたからこそ、この新しい地図で繋がっていることに新鮮な驚きを感じるのだと思う。
どこか見知らぬ土地、例えばヨーロッパの地図を開いてみてもそのワクワク感はない。私はその町の古い地図を知らないので。
(余談だけれど、以前欧州を旅したときに各国で買い集めた地図は10冊以上あって、まだ持っている)


さて、しっとりした日本映画を見ながら辿った自分の意識は、道路地図を別のものに結びつける。
その人の心の地図をみてその変化をみてちょっとした幸せを感じさせてくれる人、今の自分にはいないなって。
これは、寂しいことだなって。
誰かの心のなかの、ふとした街角に新しい路が出来たって。
自分はその人の古い地図も知らず、新しい小路が出来たことを知りもしない。
自分は、その人の地図をよむ能力もそれを記憶する場所も持っているのに。
今は誰もいない。