原音と再生の音

以前、1次情報に付いてのエントリを書いたことがあるのだけれど、原音を1次情報、再生音を2次情報と捉えてみる。2次情報に成る過程で、ある種の情報がフィルタリングされ別の意味合いが付加されるという意味合いであながち見当違いでもないだろう。
現実を言語で捉えてもフィルタされるし、情報をネットに限定したりしてもフィルタされる。
そんなふうな認識や効率化の代償として排除されていく情報に、哀愁と愛着と潜在的回帰願望を自分は持っているようにも感じる。
或いはなかなか正確には捉えきれないそういう情報に、想像だか妄想だか自分に都合よく考える隙間を見出して頭の中で遊んでいるだけかもしれない。
(なんだか久しぶりにダイアリを書くと、いつに増して分りにくい我侭な文章だ)


再生音になる過程で、原音からの排除情報としてはいくつかあると思うけど周波数帯域とかよく言われたりするけれど、私は発生音の形も重要だと思ってる。
以前、機会あっていろいろ音に関わっていたのだけれど、その時の経験もあって音にも形(他に言葉がないので)があると確信している。
分りやすい例で言えば、ソースが同じでも2chの音と5.1chの音は違うし、スピーカの形状によっても変る。小さなスピーカからの音は、聞く位置の移動により音圧が変化して疲れやすいだとか、spを広く配置した一様な音場はより自然に聞こえるとか。聞き比べれば、多くの人に違いが分ると思う。


だから、たまに再生音でないアルミチューブの音を実際聞くと、再生音には含まれないという高周波や音の形がなんだかいい感じを感じさせてくれるのかもしれない。
普段は適当なところに吊るしてある。
何気なく、カーン♪と音が響くのはなかなかいい。