手帳と名前

手帳がかなり痛んでいたこともあってか、ここしばらく手帳を使っていなかった。
10代の頃から使っていた手帳だった。仕事や旅行や買い物、どこに出かけるにも身に着けていたのだけど、今の仕事を始めた頃からかあまり持たなくなった。



電車に揺られて自分が思ったことや気がついたこと、時間が過ぎると幾つかあったはずのそれらがただただ忘れられていってしまっているなと思う。
忘れてしまうのはその程度のものだからで、しかるべき内容はまたなん時か甦ってくるものという考えも一方ではあった。時の洗練というやつだ。でも、時の洗練をしたらきっと今の自分の中からはなにも残らないのかもしれない。そんな印象を自分自身持っている。
だから、もう少し今の自分を掬い上げておくためにも、また以前のようにもう少し書き留めたりしたい。


古い手帳は10年くらい使ったのだろうか。
新しい手帳もそれくらい、あるいはそれ以上使いたい。自分が気に入るものを長く使いたい。
そう思いながら半年くらい手帳を物色していたような気がする。


cordovanという、馬のお尻の皮を使った手帳で普通の皮より2,3倍かたいそうだ。おかげでまだちょっとしか使っていないのに、まっさらだった表面に小さな傷やヘコミがついた。まあ、それもいいかなと思う。



手帳の内側に名入れをした。書体や、箔のあるなしとか選べたりする。自筆のサインも刻印できるくらいだから、名入れ文字のつづりかたなどどうにでもなるのだけど、ちょっと考えて今回は通例から外すことにした。
アルファベット表記で、苗字を頭文字続いて名前をフルで入れてもらった。
通例から外れているのは、苗字と名前の順番。
名前が先にくるのは小学校だか中学校だか英語の時間に習った。でも実は、習わしうけたこの順序のほうが世界的に例外的用法だ。
中国や韓国、ハンガリーなど自国語でファミリーネームが先となる文化圏において英語で表す場合にいちいちMy name is なになにと日本のように苗字と名前をひっくり返したりはしない。


だからといって、今回の名入れはなにかやむにやまれぬ主張のためにではなくって寧ろその逆で、どっちが自分の気に入るかなって考えて、苗字を開くより名前を開い(頭文字だけでなく)てみた。
手にとって見てしっくりとくる。
私の個人的手帳。
また何年も一緒に暮らして旅行などにも連れて行きたい。