祈りの効用

私は、無宗教です。
初めに立場を明らかにしておきます。


洗礼は受けてないし、相手が望むなら結婚は教会でも神前でもいい。お墓はなくてもいいけど、入れたいなら入れてもらってもいい。


かと言って無関心でもない。
座禅という行動様式とその生理的システムに興味があって、半年くらい定期的に通ったし、宗教自体には興味を持っているし影響力も侮っていない。



さて、そんな私ですが少し「祈り」について思うところがあります。
トランシルバニア地方の民家に一人ホームステイしたとき、宗教について聞かれたとき、片言のハンガリー語で「宗教は違っていても、祈る人の気持ちは通じるところがあると思う」と答えた。
http://d.hatena.ne.jp/masasan/20041203


座禅による生理的反応として、雑念が抜けるというか体の力が平均化されるというか落ち着くというか、そういうのがある。これはそれを体験した人には良く分かる生理的・心理的状態だと思うけれど、言葉だと表現しづらい。


地震発生翌々日にブックマークしたときにメモしたのだけれど、

今はまだ渦中にいるけれど、PTSD様の現象は必ず起きてくる。・フラッシュバック(追体験) ・回避、麻痺 ・覚醒亢進 。物語で体験を整理する必要性がでてくる。まだ後の話だけれど被災者には・安全・安寧・繋がり

被災者は、
1、直後混乱し事態をうまく受け止められなくなる
2、何かから逃げ出したくなったり、うまく自分の感情を受けとめられず表現もできなくなる
3、事実を追体験して恐怖したり、必要以上に後悔したり
4、無性に怒りがこみ上げてきたり
そんなことが多層的に重なるのです。
そして現実というものは、執拗に攻め立ててしまうのです。
普段であればかわせても、余裕がない状態ではまともに突き刺さってしまう。


だから、まずはこころが休まるような状況が生まれるように支援できたらいいんじゃないだろうか。
頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
例えば募金というのは、募金する側の自己満足でもあるのだけれどそれが有効に届けば非常に達の良い自己満足だと思う。相手に負荷がかかりにくく、選択範囲が広がると思う。
けれど、同じ意識でコミュニケーションや言葉を交わすと場合によって、非常な負荷を与える。一生忘れられない傷になる。
色んな意識が、お金で浄化されて、相手に届く募金というものはその意味でとても有意義だと思う。腐らないし、関わりたくなければしばらくほっておいてもいい。

  • 僕らに出来ることは、せかさずに見守ること。
  • 必要とされることに手を差し伸べること。
  • 孤独になりすぎないよう、つながりを持てる場を整備すること。


今はまだ、そのようにこころ休まる状態を作りだすことが重要なのだろう。



そして次は生活。つながりを持って働いて何かを生み出していく。
或いは、表現すること。
自分達に起こったことを、なにかに置き換えて表現すること。
表現されたものをお互いに感じること。


幅広い意味では、何かに祈りること。
なにか暴力的な出来事が起こって、何かに祈る人の気持ちは自然だし効用があると思います。