表現できる、幸せ・よろこび

例えれば、表現手段とは手足のようなものだと思う。


書くことや話すこと、塑像すること、画くこと、音楽を生み出すこと、etc...。
それが出来なければ、手足なくひとつの場所に据え置かれた頭部みたいなものじゃないだろうか。
ひとつの視点として聴点として。それが悪いわけではないけれど、さみしいとは思う。


近年ロボット開発の話題も耳にするけれど、その頭脳たるAIの開発において手足の重要性を説く研究者もいる。
自分が外界と接触し、そのフィードバックをかけることにより頭脳(AI)の適応・進化が促されるという。


生身の人間は多く手足をつけているけれど、TVや本を"受動的"にだけ見たり、話を聞く"だけ"で会話をしていないなら、
それは据え置かれた一つの頭部とあまり変らない。