生きている速度

たまに老境に差し掛かった方が
「あっという間でした」とそれまでを振り返って言うのを耳にしたりする。


だけど、その「あっという間」の中の人間としては一年や一週間、一時間がいろいろな自分の感情や物思い(幸せなこと、悲しいこと。迷いや、幸せな見通し)を詰め込む「うつわ」としてリアルに存在していることを実感できる。
ちょうど一年前の一時間と、一週間の一時間、いまこの時の一時間。
例えば「あっという間でした」と口にする老人、職場の同僚、そして自分の一時間は同じ速度で流れているのだろうか。


他人の時間を感じることは出来ないから、分らない。
だけど、自分のなかでも時間は伸びたり縮んだりするからきっと違うのだろう。


いつの頃だったろう。
もう何年か前の話になるけど、新宿JR東口の地下道の真中でずっと突っ立っていたことがある。
そこでは、大量の人が私の後方に向かって歩いていた。人並みの増減はあるけれど、ずっと大量の人間が波に乗って歩いていた。
目線が合うこともあるけれど、基本的に彼らも私も無関心。
なんでここにいるのだろう、とか思ったりもする。
歩いている彼らには、殆ど目が止まらないのだけど、物凄くゆっくり歩いている人や、ごく稀に止まっている人が居たりして、そういう場合は注意が向く。
「きっと近い速度の人のことがよく見えるのだな」と思ったりした。