きいろいうさぎ

☆1 安心
暗い物置のなかにいる。
明るい部屋のようすが見えている。
階段の下の暗い空間は、時間が静かに進む。
明るい部屋の時間も、いつもより静かに進んでる。


戸を閉じる。
ここには自分しかいない。
お父さんも、お母さんもいない。
いつもここにはひとり、しかいない。
家の中に、お父さんとお母さんがいても、いなくても。
いつもここには、ひとりしかいない。


すこしだけ安らぐ。
いないことが分からないから。


☆2 不安
暗い物置のなかにいる。
膝を抱えて座っている。
すこしお腹が痛い。


あけたことの無い箱が重なっている。
使わない、袋が詰め込んである。
古い掃除機が置いてある。
一緒に寝ていたうさぎがいる。


ふと背中の方が開き、すこし風が来る。
立って振り返ると、更に奥に続く階段がある。
奥行きのある上りの平階段。
うさぎの白い耳をぎゅっと握る。
階段の奥を見つめる。


お母さんが階段を登っている。
お父さんも階段を登っている。
後姿が見えてる。
なんでそっちにいっちゃうの。
叫ぶけれど、届かない。振り向かない。
なんでそっちにいっちゃうの。
叫ぶけれど、届かない。振り向かない。


白い耳を握ったまま、物置の扉をバタンと開く。
家の中は静かな光に満ちてる。
いつもの光だけれど、見知らぬ光景。
急いで捜しまわっても。
もちろん、お父さんもお母さんもいない。
物置の奥、冷たい風の来る見知らぬ平階段を覗き込む。
もう、誰の後姿も見えない。
今度はうさぎをぎゅっと抱きしめる。
左手に抱えてから、平階段に足をかける。


☆3 知らないところ(暗いところ)
平階段に足をかけるとそのまま走り出す。
そうすればすぐに追いつく。
階段は石。
通路は洞窟。
下る平階段。


明かりが見える。
洞窟の途中に明るい横穴がある。
足を緩めて、近づく。
そろりと横穴を覗き込む。


音の無いテレビ。
大きなコタツ
横穴の小部屋。
ねえ、だれかいる?


ずっしりと大きなものが動く。
タツの向こう側からむっくり現れる。
緑色の、見たこと無い怪物。
深いしわに、大きな目。


転落する。
暗くて細い穴の中。
すとんと突き抜けて。
ころころと転がり落ちる。


☆4 知らないところ(明るいところ)
ドスンと落ちた気がした。
やれやれいたいな、はやくどいてくれよ。
びっくりして飛びのく。
うさぎが、よっこらしょと立ち上がってぱんぱんと自分の体をはたく。


何を言えばいいのかわからない。
ぱんぱんとうさぎが自分をはたく。
わたぼこり、ちりぼこり。
つちぼこり、すなぼこり。


ふと、周りをみると。
すこし高台にいる。
小さな海がみえる。
小さな町が見える。


うさぎは、片方の足の裏をぱたぱたしてふと動きをやめた。
うさぎはこちらを見て言う。
さあ行こうか、この坂を下ろう。
うん。とこたえる。


すこし疑問だったのでうさぎにたずねる。
ねえ君は、そんなに黄色かったかな?もっと真っ白だと思っていたんだけれど。
そうだっけ。おまえ、結構細かいな。
あそこん中おっこってるあいだに汚れたのかもしれないし。
この町具合が夏っぽいからかもしれないし。
まあ、あんまり細かいことは気にすんなよ。
それよりか、結構急な坂だよなここ。
うん。


☆5 あなた誰?
坂を下り終えて、広い舗装道路を歩く。
右手に小さな海がみえる。
陽の光が、波の動きに合わせてキラキラ反射してる。
海風がふっと通り抜ける。
うさぎはテクテク先を歩いていく。
先を歩いているので、話しかけづらい。


でも気になるので聞いてみる。
ねえ、うさぎ君。
さっき片足だけ払ったのはなんで?もう片方をぱたぱたしなかったけれど。
ああ、あれはね。あそこ土道だったろ。
はたいた足を地面につけたらまた汚れることに気がついてやめたんだ。
まあ、あんまり細かいことは気にすんなよ。
それよりか、おまえ俺の耳掴むのやめてくれよな。
あれ掴まれたところ痛いし、下手すると耳もとれてしまうしな。
うん。わかった。


歩道があるけどうさぎは車線道路をあるいてる。
ひょろり長いぬいぐるみのうさぎ。
硬い道路の黄色いうさぎ。
このうさぎ。
誰だろう?
このうさぎ。
なんだろう?


☆6 はねばし
車道は、次第に海辺から離れてく。
とことこと。
とことこ。
こころの中で呟いてみる。ことこと。ことこと。
ぐつぐつと、ぐつぐつと。
何を煮込みましょうか。ことことと、ぐつぐつと。


道は舗装がとけて、草原の土のワダチ道。
こことそことでこそこそと。
なにか小さいのが動いてる。
もしかしたら、草の囁きかもね。
小さな風で、小さな草が。
さらさら、さらら。
大きな風が、大きな草を。
ざわざわ、ざわわ。


耳を風に澄ませば空気の中に。
水の香りを感じます。
ワダチの先には黄色の橋が見えました。
橋は跳ね橋、明るい黄色。
跳ねた柱を見上げてみると。
水を映して、小川色。
小川の声が聞こえます。
端の小船が浮き沈み。
空には空白、風もしばらく一休み。


☆7 ドコヘ?
跳ね橋を渡り終えると。
なにか空気の質が変わったように感じる。
ぎっしり詰まった感じ。
ねえ、うさぎ君。
ここらはあまり生き物がいないねえ。
そうだなあ。
何がいたら楽しいかね。
うーん、わからない。うさぎがいたら、ちょっと楽しいかな。
ははは。楽しいな、それ。


ところで、うさぎ君。
どこに向かっているの。
お父さんのところ?
お母さんのところ?
ここにいるんでしょ。
あのね、別にいくとこないよ、目的なんてぬいぐるみのうさぎが持っているわけないじゃん。おまえ普通に後を着いてきたから、俺はその前をあるいてんのよ。
ここにおまえの両親がいるか、だって?知るわけがない。
自分に目的があるなら、しっかりそれを行動に移せよ。あやふやなまま、何かの後を追ってるだけじゃ何処にもたどりつけないぜ。ま、コレにこりてもう少ししっかりやるこった。
帰りたい。
ん?
帰りたい。
んなこと俺に言ってどうなんのさ。
帰りたい。
ああ、うるせーな。んなこと言っても仕方ねーだろ。
帰りたい。
あのな。俺ら、おっこってきたところどうなってたか見たか?
見ない。
落ちてきた穴もなにも無かったよ、塞がっちまったのよ。
……。
おまけに、はねばし渡ったらもう、渡る前の世界は消えてたよ。気がつかなかったのか?
知らない。
ここはきっと、観念的な場所なんだよ。わかるか?
わからない。
おまえやる気あるのか?
わからない。
ああ、だめだおまえ。ホンとダメだ。
帰りたい。
帰れやしない。


空のホリゾントの照明が、その明かりをややフェードアウトしてく。
密度の詰まった空気の上から、重い音がのしかりはじめる。
帰れやしない。
戻れもしない。
消えてく。
すべて消えてく。
風景も、生き物も。
うさぎも、僕も。
明かりが落ちて、音がやむ。
なにも。
なにも出来ないのかもしれない。

なあ、おまえな。自分の100%出せてないだろ?
……。
不満足じゃないか?
でも100%じゃなくても、でも周りに合わせたほうがうまくいくことあるよね。
うん、でもね。おまえそればっかりになってないか。自分が何をしたいか、知ってるか?そんなんじゃな、自分てえものを見失っているのと同じじゃないの。自分がないなら生きてないも同じってやつだな。
僕、ほんとに生きているのかな。
はぁー。おまえ本当に昔から、そういうとこあるよな。つらい事、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、すごく大切なひとつひとつを経験してきただろ。なのにある程度、時間が経つと、大切な感覚を忘れちまいやがる。ほんと忘れっぽい。
うさぎ君。君、なんでそれを知っているの。
過去の自分てぇのはな。ただ懐かしむだけにあるんじゃあないのよ。
うん。
これからの自分を生きてく上で、忘れちゃいけないことが幾らもあんのよ。それをおまえ。使い古したぬいぐるみみたいに、頭の隅の記憶倉庫の肥やしにしてほこり被せてるだけでいいのかな。
うーん。
おまえ、ほんと鈍いんだよな。暫く経たないと良くわからない。ま、いいよ。おまえのそういうとこ嫌いじゃないしさ。じっくり考えないよ。


☆8 道しるべ
ワダチの道には、なにも通らない。
車もこないし、人とすれ違わないし、蟻も歩いていない。
道は次第に丘の方へと登り始めている。
どこに行けばいいのかわからないし、どこに帰ればいいのかもわからない。
誰に聞けばいいのかもわからない。
ただ傍に、うさぎ。


ふと、お腹が痛み出す。
痛みで、立ち止まる。うさぎが振り返る。
痛みは、とっても強くなり始めている。
するとポンッとソフトボール大の黒いとげとげの物が、お腹から飛び出した。
そのまま、車道をポンポン跳ねて、目の前のゆるやかな坂道を登っていく。
みえなくなるまで。
無言で、うさぎと一緒にそれを見てた。


ねえ、うさぎ君。今の君がやった?
へ?おれそんなこと出来るわけないだろ。なんでそんなこと思ったのよ?
あのその、うさぎ君がお腹見たら、そしたら飛び出したから。
おまえいつまでもそんなこと言ってたら笑われるぞ。おまえの腹ん中から出てきたんだから、おまえがやったってのが順当だろ。ははは。まあな。そういう、「まんま」なとこも。嫌いじゃないけどな。


海を見る。
太陽はないけれど。
うす海色の筆のタッチには、白色とちょっとの黄色が混ぜられてる。
不在の太陽を反射してる。
オレンジ色と黒の空。
青の空を、じわり塗りつぶし。


うさぎは、丘の上り坂、黒いとげとげの去った方を、顎で指す。
さあてどうする。行くか?
うん。


☆9 痛み
丘の上には、小さな家。
部屋の窓から外が見える。
太陽はないけれど。
オレンジ色と黒の空。
もう、青の空塗りつぶして水平線まで。


お腹を抱えて。
痛みはたくさん増してくる。
痛みと恐怖。
怖いのは、痛みが増していくこと。
裂ける事。


黒の空が海を覆い、波の黄色は塗りつぶし。
黒い雨が線を引き、窓の景色が切り裂かれ。


熱くて重い痛み。
ジーンと熱く、ズシッと沈む。
痛みの波立ちのひしめきあい。
脈打つたびに。
ぐぐうと締め付けられ、捻り出されあふれ出た肉。ぴりぴり千切れて、出刃で叩かれ。
煙幕かかり、雷鳴る。
引き絞られ、ぐちぐち唸る。
ごろごろ空気が練り回り、崩れ落ち。和らぎの偽物、あっという間に飲み込まれ、膨らんで張り付いて張り裂けて。


痛い。痛いよう。ああ。
助けてよ。
腹は裂かれて、白と薄桃色の傷肉の色から、赤い絵の具が涎になって流れ出し。
滴る地面に血の色は描かれない。
それは、自分自身の血であって、床の血ではないから。


うさぎは平筆で、僅かに暗い白色の帯を何本も重ねて描いて、お腹は包帯を巻かれる。
ぼんやり、じんわり。痛みがにじむ。
大丈夫、傷は塗り重ねた。


☆10 イメージ
ベッドの上から、朝の空色を見る。
夜は明けた。
うさぎは、平筆を握り締めたまま腕で目をこする。
うさぎ君。ありがとう。
ふわあ。世話焼かせやがるぜ。まあ、どうにか助かったか?
でも、凄いよ。うさぎ君。無力なぬいぐるみだなんてとんでもないよ。
おいおい、誰も無力なぬいぐるみなんて言ってないって。


生きてる。
天井の近さ、肉声。悲しみ、痛み。そこに確かにあったもの。
音楽が鳴っている。
そこには痛みが、確かにあった。幻ではない、痛みの感触が。
音楽に乗せて聞こえてる。
涙がでた。
ああ、生きてる。
この痛み。
この音楽。
懐かしい。生きてる。
ああ、歌っているよ。叫んでいるよ。
痛みはある。
だから、その分は、少なくとも確かに生きている。


ありがとう。うさぎ君。でも、よく包帯を上書きするなんて思いついたし、実際それをやったよね。
イメージしないと。それが出来たか出来ないかさえ、わからない。少なくともイメージをすれば、それが叶わなかったということはわかるんだ。ちゃんと自分で、一度は掴み取ったことだぜ。こういうのは、ほんとは忘れるなよな。まあ、最高に忘れっぽいのは知っているけどさ。
イメージか。そうか。それやってみようか。
ん?そうだな。やってみろよ。
そう。僕らは広い草原に行く。いままで誰も足を踏み入れたことの無いような高原だよ。そこで僕らは、耳を澄ませて風の妖精から話を聞く。
ふむふむ。
あの高い山から流れる氷河の雪解けの一滴を、静かな湖に垂らしてみるんだって。
それで。
すると、静かな湖の水が引き、白い城への道が現れる。
なかなか手が込んでるじゃないか。
ところが、そこでね……。


☆11 しろとうさぎ
白い城の入り口までやってきた。
太い木をいくつも使って作られた、大きな門の前にうさぎと立っている。
するとうさぎはそのずしりと重い門を片手で難なく開きながら言った。
この世界じゃ、ココがゴールかもしれないけど、向こうから見りゃココからがスタートよ。
この世界では、心優しくかしこいうさぎさんも、外じゃ暗い物置でほこりかぶってるくらいしか出来ない。
そこでな、ここまで言っておまえみたいなトンチンカンが思うのは「物置から、おれを出してほこりを払おう」ってな無意味な寄り道をすんのよ。そんなぬいぐるみなんて極端な話、捨てちまったっていいんだよ。いいか、そんなもん形でしかないんだよ。
よくきけよ、ここで本質的な事はな。
仮におまえがここから先、あきらめたり、絶望したり。イヤになったり。
ただもう、つかれたり。してもだよ。こんなうさぎさんがおまえのことをずっと応援してるってことよ。
ずっとおまえの過去の記憶の中から叫び続けてるってことよ。
子供ができて幸せなときも、大切な理解者や身近な人間と死に別れても。
おまえが大切な誰かを裏切ったり、世間の泥にまみれても、おまえが生きてる限り、おまえの命尽きるその時まで、おれはおまえを応援してる。
それを忘れるなってこった。
「うさぎさん、うさぎさん。わかったよ、今やっとわかった。きっと君は……」
それがうさぎに伝わったかどうか定かではないけれど。
閉まっていく大きな門のはざまで、うさぎは力強くgood lackと黄色い親指を立てていた。