そろそろ桜が満開に


初めて告別式というものに行ってきた。
 
先日、知人が死んだ。世代が上の人。
6年くらい前に一緒の職場にいて、たまたま今年明け頃にとても久しぶりに会ってきたばかりだった。元気そうにみえたけど。
手書きのメモや、まだ返信してないメールが残っている。
 
死に顔はやはり、もう生命が宿っていない冷たさがあって、だけど表情自体には変わりないから、その差異が少し恐ろしかった。
でも安らかな表情でよかった。
 

数日前に都内では桜が満開になったようだけど、地元はすこし涼しいせいかもう少しといったところだ。
あちらこちらに、ソメイヨシノばっか植えて馬鹿じゃないかとよく思っていた。
他にも綺麗だと思える種類はあるし、ソメイヨシノ・クローンのおかげで多様性が失われて弱いし、美しさに味がないじゃないかと。
でも、この一過性で均一な異常性が、見方によっては美しい。
日本には、ハレ(非日常)のいわば異常性の持つ美しさがあるのかもしれない。
 

さて、数ヶ月前に片目が一時的に失明したとき、もう予備がなくなったと感じた。ので、そのとき他の感覚器での入出力を探った、準備はしておこうと。
目を使う作業は、不快だったし音声での読み書きがしたくてひとつソフトを買った。
ドラゴンスピーチ・パートナー 2005
ちなみに、より高機能なバージョンもある
Dragon NaturallySpeaking 05Pro 日本語版
 
2000年頃使った時の、ViaVoiceのイメージよりか使えるようになったとは思う。
メッセンジャなどでは殆ど修正しないで会話することもできた。
電話中につけっぱなしにしたら、一応筋がわかってまた文章化されるから客観的にこんなことしゃべってんのかとびっくりもした。
それで今度は先日パッと都内で電車に乗っているときに頭をよぎったストーリーを、そのときメモったので、修正版と比較してみようと思う。
たぶん、音声メモしなければテキスト化しないままに消えただろうものだ。