おもい残すこと

おもい残すこと、残念。
後悔にならず。


一年また一年と、歳を重ねてる。
今まで生きてきたから、幾つか思い出すことがある。
多分忘れさることのない出来事。
時々、私は思い出す。
誰かと別れて二度と会わない。


別れの状態。
連絡を取ることが出来るけれども、連絡を取らない。
連絡を取ることが出来ない。
連絡をしないことをお互いに約束した。
死別した。


幾つかそんな別れを持っていて、其々に印象的なイメージが自分の記憶に生きている。
ああ、あの時私はこう言った。自分の態度と行動。相手の様子。
場所、周りの風景。匂いや音。
そんな記憶。


あの人に、伝えたい事がある。
だけれども、伝えていない。敢えて。



伝えてすっきりしてしまうより、自分の中のわだかまるもの。それは残念すること?敢えて、おもいを残しておくこと。
そんな選択をすることがある。


例えば。
別れるべき女の子と別れた時、わざと愚かな振る舞いをしたことがある。
相手を傷つける内容だって含んでいた。
出来るなら、ありのままの自分でいたいけれど。そうは出来ない。


でもそれは本当にそうあるべきだったのだろうか?


後悔はしないことになっている。しないで、残念する。
自分のしたことを否定していくのは、比較的辛いことで、それから比較的難しい。
殆ど人は、自分の行動をいつのまにか心理的に肯定していく。今自分が生きていることを、手放しに正当化しているように。
私も否定しないことにしている。


振り返って後で悔いるより、これからのケースに対して自分なりのおもいを持って望めば、おもいはより有効活用されているとみなすことにしている。
過去に誰かをキズつけたなら、これからの人に優しくできるんじゃないかと私は思っている。
だから後悔はしない。
自分の中に残念を積み重ねる。