ありがとうの気持ちを伝える

自分が思っている気持ちは、伝えなければ自分しか感じない。


分かってくれているかもしれないという期待をもってしまうこともあるけれど。
基本的には、自分の表皮の外側に自分の気持ちを表現する何らかを出さない限り、何者にも気持ちは伝わらない。


私は2005年末に眼の疾病を患い、病院に通うも片目の光を失いました。
眼底出血から硝子体混濁し網膜へ血液が張り付いたためです。その他の情報はこちら
その後別の病院の信頼できそうな医師の方に出会うことが出来、見事手術の末全く見えなかった眼が見えるようになりました。
井上眼科病院の斎木裕先生に、5年ほども経った今でも感謝をしています。
(沢山の患者さんを高度な技術で診つづけていらっしゃったことに尊敬と、あとあまりの多忙さに差し出がましくもすこし心配したりもしたものです)


眼の手術により、明るく澄み渡った景色を眺めることが出来るようになり。
その後、白内障になるトラブルもありましたが手術によりそれも解決。
その後の経過も良好で、担当がいよいよ斎木先生から別の先生へ代わることになりました。
それまでも、なにか品物かお金か感謝の気持ちを伝えなくてはと思いつつこれというものが思いつきませんでした。病院によって、お金のお礼を受け取れないところや品物は分配といったルールがあったりするのを知っていますので、私はより先生個人に感謝の気持ちを伝えたかったのです。
手紙に文章をしたためて渡そうかとの考えが一番適当なのですが、何度か試しに書いてみたもののうまく文章にならないのです。
いつもなら、口下手の自分が話している言葉に満足できず文章にしてしっくりするパターンなのですが。
そのときは逆でした。
最後の診療の時、いつもお忙しいのであまり時間もとれないのですが…。
眼底をみてもらったあとのうっすら暗い小部屋に、看護婦さんと先生とわたし。


 眼がみえなくなって一時はあきらめたこと。
 眼だけでなく不幸があり、つらかったこと。
 今はそれが回復し、自分がしたいと思うことを考えられるようになったこと。
 それは先生のお陰です、ありがとうございました。


そんなことを、ささっと言えた。
うまく言えた気がした、ありのままの自分の感謝の気持ちを言葉にして伝えられた。
今でも感謝しているし、うまく自分らしく伝えられたのではないかとの気持ちが、今でも自分にとって幸せに感じる。