(仮)ぼくはくまです(4)

 後々まで残る後悔や、生き方が変るような決意。計画的な道筋と論理的思考。そのようなものは、ぼくらにとってとても些細なことです。どうでもいいことなのです。
 しばらくすれば忘れてしまうような。自分は意識していないような。そのようなささやかなもの、それがぼくらにとってかけがえのないものなのです。
 けれど同時に普段は忘れてしまうような「小さな悪意」もぼくらにとって重大な存在なのです。ぼくらはいつまでもそのようなものを抱えていかないとならないのです、何故ならそれはささやかな優しさと同じ世界に存在しているからです。ひとつの物事の裏と表のようなもので切り離すことはできない種類のものなのだろうと思っています。


 湿った風が吹いた夜半に、ぽつりぽつりと雨が降りました。
 ぼくの体はじんわりとぐっしょりとびっしょりになってきます。
 ほこりや泥が少しは落ちると思います。
 少しはキレイになれると思います。
 ずっとずっとこのままひとりでしょうか。


 人の気持ちを信じられなくなる、ぬいぐるみ達がいるのです。
 ささやかな悪意や嫉妬、人が垣間見せる醜さ、些細な出来事を自分達の存在価値として考えている連中がいるのです。それは非常に残念なことではあるのですが、同時に必要悪でもあるのかもしれません。ぼくがそのように変化してしまわないと断言できるものではないのです。でも、変化してしまうくらいならぼくは消えてしまったほうがいいのかもしれない。
 ぼくはささやかな気持ちを信じています。忘れてしまっているかもしれないけれど、それは確かにあるはずなんです。そして同時に、その裏側についてもその存在を認めなければならないでしょう。だけれど、ぼくは裏側ではない。だから、その信じる気持ちがなくなってぼくが消えてしまうのもイヤなのだけれど。それでもぼくはぼくでありたいのに。
 こんなことってとてもイヤなのです、とても悲しいのです。寂しいのです。
 なんだかすごくつらくて、なにも考えたくない。
 だから消えてしまったほうがいいのかもしれない。


 雨が上がって、明け方がやってくる前に星が見えました。
 誰かにぐっと踏まれたので体はぬれていてよごれていて、そんなぼくでも星空を見ているのです。世界でもっとも恵まれたものも星空を綺麗だなあと眺めるでしょう。こんなぼくでも、同じように綺麗だなあと眺めることができるのです。
 ぼくがぼくでなくなって、あなたがあなたでなくなっても星はずっとそこにあると思います。ぼくがだれからも見捨てられ忘れられても、星空がそこにあればいいと思います。



 覚えていますか。
 ある朝、日が昇るちょっと前に、あなたはぼくに手を差し伸べたのです。
 あるいはぼくがこのようなお手紙を書かなければ忘れてしまっていて、あなたにとってそのように些細なことだったかもしれません。
 でもぼくにとっては、それはとても大事なことでした。
 ぼくはさぞや汚かったでしょう。
 そっと差し伸べられたその手で、道端の端からすぐそこの門柱のうえにぼくは乗っかりました。あなたはそしてすぐに行ってしまいました。
 門柱はなんとかかんとか署という、ちょっといかめしい名前の建物のもので、ぼくのようなぬいぐるみが乗っかるにはやや不釣合いだったかもしれません。でもそれはかえって良かったのかもしれないと今は思います。